フリーとフリーランス

「フリー」という言葉は本来使わないほうがよい、と聞いたことがある。
ここでいう「フリー」は恋人ナシとかの意味ではなくて、職業上の「フリー」だ。
私は1年半前まで、イラストレーター、デザイナー、ファッションデザイナー等々いわゆるクリエイターと呼ばれる人たちを対象に取材をしていた(クリエイターという言葉は当時からどうしても好きになれない)。企業に属している人もいたが、私が担当した多くの人はフリー、もしくは独立起業してスタッフを抱えていた。
「『2003年よりフリー』…あ、『フリーランス』ね、ここ」。プロフィール欄の読み合わせ最中に先輩が言った。「え?」その後の流れは忘れてしまったが(肝心なところをいつも忘れてるなぁおい)、「フリー」ではちょっと軽んじている印象があるとかで、とにもかくにも正しくは「フリーランス」だという。ま、そらそうだな英語はFreelanceだし、と訳のわからないかたちで納得した。

2年後、退社した私は端から見れば「フリーランス」になった。ただ、直後はほとんど仕事も売り込みもせず、紹介してもらった校正の仕事や父の仕事、時には昔のアルバイトなんかもしながら小さいフリーペーパーを作り始めた。そこから広がった人脈でぽつぽつとコピーやWeb記事のライティング仕事が入り、今に至っている。今でも、経験もないくせにデザインを頼まれたりもするし、単発バイトをしたりもする。イマイチ「これで食ってます!」という感覚に欠ける。
ただ漠然とではあるが、いろんな媒体を経験してみたいと思うようになった。これまで、ターゲットは若年層とはいえ割とカタめな専門誌を中心に動いてきたが、Web取材で動画クルーのいる現場を経験したり、ちょいちょい遊びながら携わっているプロジェクト(?)ではイベントをUSTREAM中継したり、できた人脈を元にミニコミを作ったり(そしてそれを元に売り込みを企んだり)してぼんやりと。紙媒体オンリーよりもマメに手応えを感じているように思う。人の反応をキャッチしやすい。その反応を詰め込んだ紙媒体への反響は、仮想ターゲットのそれよりもとても大きいことも。(もちろん、対象が狭いという前提もある)
いろんな立場でいろんな媒体を横断してみたい、というのが正直なところだ。うーん、カルい。「フリーランス」よりも「フリー」って感じだぞ。食っていけるほどのお金も期待できないし。これに肩書きがいるのかしら。ただ、一つひとつが具体的であればいつか役に立つだろう。まだまだ曖昧すぎるけど、媒体と空間と人間との意外な組み合せで、面白いこと無限にできるんじゃないかなぁ。紙にしろWebにしろ、そういう立体的なかけあわせのある場にいられたら。(必要以外のストレスがない環境なら会社に属してももちろんいいんだけど)

なんてことをぼやぼやと思っていた矢先、寿司屋でちょっと素敵な紳士に会った。新聞記者だという。母と2人飲んでいた私はなぜか彼と盛り上がり、自分の現状とぼやぼやを話してみた。
「これからはあなたの考えで大丈夫。ただし甘い。自分自身が媒体であるという意識を持ちなさい。あなた自身が小学館講談社集英社だってぐらいの意識でいい。それから、続けることだね」*1

最初は意味がよくわからなかった。でも1ヵ月続けた。仕事が3つ入った。いろんな制約*2の中で自分の文がWebで掲載されることになって原稿を上げた。すこーしだけわかった気がする。本当に大丈夫なのかどうかはわからないが、彼に言われた時よりは大丈夫かもしれないと思っている。結果が見えない今も立ち止まってうじうじしている。が、1年半前はもっと見えなかった。いろんなことにちまちま手を出して、やっと大丈夫の断片が見えたらしい。
結果はしばらく見えないだろう、目的すら明確ではないのだし。でも大丈夫が続いていけば、今より面白いことに出会えるか作れるかはするんじゃないだろうか。その時の私は「フリー」なのだろうか、「フリーランス」なのだろうか。

*1:酔ってましたけどねお互い。そして彼は母に絡み、いい気分になったところでもう一度私に「大丈夫。がんばりなさい。しかし、あなたは化粧がヘタクソだねぇ! 」と。え。

*2:それがあることはたのしい